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2017/12/22

井上靖エッセーコンクール表彰式

  全国の中高生を対象にした第6回井上靖記念館青少年エッセーコンクール(旭川市教委、井上靖記念館、北海道新聞社主催)の表彰式が12月17日に行われました。

  本校中学校一年、小林天音さんの「しるし」と小島怜亜さんの「『声』からはじまる『人』」が「中学生の部 優秀賞」に選ばれました。

  入賞作品は、旭川市の井上靖記念館で2018年2月18日まで展示されています。

小林さんの入賞作品の全文を掲載します。


  「しるし」  小林 天音

  私は、自分の声が嫌いだ。正確に言うと、嫌いだった。低くて太い声、何だか女の子らしくない声だ。周りの友達の声は皆、高くてきれいな声だ。中にはわざとかん高く、かわいい声を出そうとする人達もいる。

  小学校の音楽の授業は、私にとって憂うつなものだった。学校で習う歌はどれも私には高くて歌いづらかった。一番低いパートに行きたかったけれど、恥ずかしくて言い出せなかったので仕方なく真ん中のパートに入った。男子の中には、まだ声変わりしていないので私よりずっと高い声の人もいた。きっと一番低い音の方が今より歌いやすいに違いないと思いながら歌っていた。

  ある日学校から帰って来てテレビを見ていると不思議な光景が目に映った。一人の男の人が大学の講堂で演説をしていた。初めは入学式の祝辞を述べているのだと思った。しかし、よく見るとその男の人は、一言も言葉を発していなかった。ジェスチャーや身ぶり手ぶりの動きと、時々うなり声の様なのどの奥からしぼり出す音がテレビから聴こえてきた。ステージの後ろには大きなスクリーンがあり、そこには文章が次々と映し出されていた。私は、夕食の準備をしている母にたずねた。

  「この人、だれ? どうして話さないの?」

  母は、料理の手を止め、その男の人のことをいろいろと教えてくれた。その人は、昔、ロックバンドのボーカルをしていて有名になり、その後も数々のヒット曲を出して活躍していた。しかし、四〇才代でのどの病気にかかり命と引きかえに声を失ったということだった。それでも、懸命にリハビリをして自分の思いをメッセージとして文章にしたり、自身も講演活動をしている。私がテレビで知ったその日も、自分が卒業した大学に依頼され、新入生達を前にお祝いの言葉を伝えていた。

  その姿には本当に衝撃を受けた。全く言葉を話さない人とそれを静かに聴いている(正確にはメッセージを読んでいる)人達。当たり前に話し、自分の考えを簡単に伝えている自分の日常と、突然言葉を失ってしまった人の姿。その人は歌手で多くの人々に声を伝えるのが仕事だったのだから、余計に自分の病気を受け入れる事が出来なかったに違いない。そして、その聴衆の中には、涙を流している人もいた。スクリーンの言葉に感動して何も言わずにただ泣いていた。

  次の朝、登校している時、友達が後ろから走り寄って、声をかけてきた。私は振り返らなくてもその声で友達が誰か分かった。もし目かくしをしても、声だけで仲の良い友達の名前を当てられるだろう。その時、私は、声はしるしなのだと思った。一人一人を表現する大切なしるし。しるしには、大きいものや小さいもの、美しいもの、恥ずかしくて嫌いなものもある。人は生まれてから、そのしるしを持って生きていく。大人になってもずっと変わらないしるしもあれば、成長と共に変わっていくものもある。突然、病気や事故によって、失ってしまうしるしもある。それでも私達は、その一つ一つのしるしを大切にして生きていかなければならない。声も大切なしるしなのだ。私は、ほんの少し自分の声が好きになった。