学校生活

2021/11/25

瀬戸内コース「平和・文学・人権」を学ぶ旅

 小山杏樹さんが起案した瀬戸内コース。16名の参加生徒で何度も話し合い、設定されたテーマは「平和・文学・人権」の3つです。生徒たちは、事前学習として課題図書(「人間をみつめて」「生きがいについて」「ハンセン病を生きて: きみたちに伝えたいこと」「大島青松園で生きたハンセン病回復者の人生の語り」「村上海賊の娘」「二十四の瞳」)を読んでレポートを執筆。北海道博物館・ウポポイに出かけてアイヌ文化の講演会に参加しました。


  • 平和学習(広島県広島市)10月31日~11月1日

広島市おりづるタワー研修室にて被爆者・田中稔子さんとNPO法人PCVの方のお話を聞き、生徒たちの質問にも丁寧に回答いただいたあと、広島平和記念資料館を見学しました。時間に余裕を持って90分の見学時間を設定したのですが、時間ギリギリまで食い入るように展示物を見つめる生徒たちの姿が印象的でした。昼食後、PCVのスタッフにガイドされながら平和記念公園を散策。原爆ドーム・世界の子どもの平和像・原爆供養塔・韓国人原爆犠牲者慰霊碑などが特に生徒の心に残ったようです。その後、再びおりづるタワーにて、PCVのスタッフを交えながら振り返りの時間をとりました。資料館と公園を歩き回って疲労困憊の生徒も、今日学んだことを書き留めるために黙々とペンを動かしていました。「ヒロシマについて勉強しようと思ったきっかけは何ですか?」という質問には生徒全員が答えを発表し、一人ひとりがどのような思いでこの研修に参加しているのかを知ることのできる、意義深い時間になりました。質問の挙手が途切れない生徒たちの姿勢に、PCVの方も「最近の高校生にしては珍しいですね」と驚いていました。自分の意志で瀬戸内コースを選んだ生徒たちだからこそ、それぞれの問題意識を恥ずかしがらずに共有し、戦争・平和・国際協力についてじっくり考えることができたのでしょう。

以下生徒の感想です。


「”よくある原爆ドームの鑑賞”にならず、慰霊碑など一つ一つがどのような意味が込められているのかなどを知ることができた。」


「私の満足度が1番高かったプログラムはPCVプログラムです。なぜなら午前中は平和公園内を見学し、平和記念資料館の見学や昔と今の風景の違いを実際に行って比較したりして学び、午後は学んだことを活かして考え、意見を発表して、学んだことをより深め、定着させることができたと思うからです。」


「自分は沖縄の方でも平和学習をしたことがあったのですが、それを超える内容でした。PCVの方のお話を聞きながら公園内を回ることができたのはすごく良い体験でした。」


「“平和記念公園自体が巨大な墓”という話が最も心に残った。自分たちの歩いている地面の下に原爆が落とされる前暮らしていた人々の遺体や小物が埋まっていると思うと恐怖と同時に死者を悼む気持ちになった。平和記念資料館では手紙の展示コーナーと遺品に添えられた遺族のコメントを読むのがつらかった。個人の存在をクリアに認識させる展示物はより心に迫ってくる。現実味がないほどの被爆者の数をそこで初めて実感できたように思う。」


「被爆者の一人である田中稔子さんの貴重なお話を聞くことができてとても良かったと思う。お話を聞いている途中、こちらもその情景をイメージすると辛いものがあり、涙が流れそうになった。最後に稔子さんがおっしゃった、『平和とは自由に何かをすることができること』という言葉がとても印象に残っている」

  • 文学研修(愛媛県松山市)11月2日~11月3日

 広島での平和学習を終え、尾道にバスで移動してしまなみ海道をサイクリング。きっと卒業後何年たっても、瀬戸内コースの仲間とともに向島を自転車で駆け抜けたことを、砂浜で眺めた景色を、瀬戸大橋の雄大さを、皆で飲んだかんきつジュースの喉越しを、懐かしく思い出すのでしょうね。全員が20km以上を走破し、愛媛県今治市のタオル美術館に立ち寄ったあと、愛媛県松山市道後温泉で旅の疲れを癒やしました。翌日の午前中は松山市内を班別自主研修。海の見える駅として有名な下灘駅や、松山城、萬翠荘、愛媛県美術館、坊っちゃん列車、人力車体験などで見聞を広めました。午後に再集合し、坂の上の雲ミュージアムと子規記念博物館で文学研修です。事前学習で下調べしていた生徒たちはガイドさんに鋭い質問を連発、時間ギリギリまでじっくりと展示を見て回りました。「正岡子規の『歌よみに与ふる書』は現代文の授業で名前だけは知っていたけれど、どのようなことが書かれていたかをじっくり読むことで、当時の文学界に与えたインパクトの大きさを実感した」などといった感想があがっていました。至るところに句碑が建っている俳都・松山の雰囲気に影響されたのか、自作の句を詠んで「俳句ポスト」に投函する生徒も。忘れられた存在だった与謝蕪村を再評価し、明治以降の俳句・短歌の世界に革命をもたらした正岡子規という存在の大きさを、松山で学習できた意義は大きいように思います。文学研修終了後は生徒全員と引率教員も浴衣に着替えて道後温泉街でのそぞろ歩きを楽しみました。

以下生徒の感想です。


「サイクリングが一番印象に残りました。涼しい風が気持ちよく、きれいな海とともに大きな橋を見ることができたことに感動しました。たまにいつもと違う景色を見ることで、リフレッシュできることが分かりました。」


「綺麗な景色とおいしい空気の中友達と笑い合いながら自転車を漕ぐというのは簡単なように思えて意外に実現が難しい小さな幸せだと思う。だからこそ走っている間の充実感や、因島大橋を渡りきった達成感が宝物になったんだと思う。サービスエリアで店を出している優しいおじさんからみかんを2つも頂いたり、その店のメンチカツの美味しさに3人で感動したり人の温かさも知ることができた。」


「友と同じ景色を見て同じ風を浴びて笑い楽しみ語り合う。宝箱にしまっておきたいほど大切な時間を過ごすことができた。」


「自主研修で人力車に乗ったことはとても印象に残っています。人力車での道後巡りでは、人力車をひいてくれた方の解説を聞きながら道後の街を見て回ることができました。

・からくり時計が動いて二階建てから四階建てになるのは道後温泉の最上階をイメージして作られたから。

・からくり時計は道後温泉100周年を記念して1億円の費用をかけて建設された。

・道後温泉別館の屋根上に設置されている白鷺は道後温泉本館の方を指している。

・白鷺や湯玉のマークは道後温泉の象徴的なものであり、温泉街の至る所にある。

このような知識を得た上で街を見ると、それまで見えていなかった街の魅力や歴史を感じ、もっと有意義な観光にできると思います。ただ観光するだけではなく、そこに学びを見いだせたことがとても喜ばしく、素敵な経験をしたなと感じました。どの出来事も私にとってはかけがえのない経験です。きっとこの先そう簡単には忘れられないと思える、素敵な旅でした。」



  • 人権学習(香川県高松市大島)11月4日~11月5日

文学研修を終えて松山を出発後、香川県高松市の栗林公園を散策。昼食でさぬきうどんを食べたあと、香川県立保健医療大学の近藤真紀子教授と合流して高松港からフェリーに乗り、国立ハンセン病療養所大島青松園を訪問しました。学芸員のガイドのもと、社会交流会館展示室の内容を見学し、納骨堂、火葬場、そして亡くなられた入所者を火葬にして納骨した残りの骨を納めている「風の舞」というモニュメントも見学。遠い国で大昔に起きた悲劇ではなく、現在進行形でこの国で起きているハンセン病問題を自分ごととして考える、とてもよい機会になりました。大島から高松市内に移動し、ホテルに到着後すぐに大島青松園で看護師として働く方々とオンラインで話を伺い、近藤教授からは対面で、ハンセン病の病態生理や歴史、そして大島青松園について講義を受けました。時間を延長するほどの盛りだくさんの講義後、さらに本校生徒3名が質問するなど充実した学習会を終え、翌日はいよいよ最終日。香川県立保健医療大学の学生がハンセン病者の苦悩について朗読劇を発表、岡山大学の学生がハンセン病療養所瀬戸内3園(長島愛生園・邑久光明園・大島青松園)について発表、そして本校生徒がアイヌ文化と差別について発表しました。この日の発表のために生徒たちは北海道博物館やウポポイに出かけ、事前学習を進めてきました。準備の甲斐あり、近藤教授から「私たちにとっても良い勉強となりました。何よりも生徒さんの熱心さと利発さに目を見張りました。」とのお褒めの言葉をいただき、研修の全日程を終了しました。事後学習では、参加生徒全員が「旅の思い出、旅で学んだこと」をテーマに1,600字程度の随筆を執筆します。平和・文学・人権について学んだ瀬戸内コース参加生徒16名の今後の活躍にご期待ください。

以下、人権学習についての生徒の感想です。


「あんなきれいな島で大勢の罪なき人が、社会に目を逸らされたまま亡くなっていったことがとても衝撃だった。夕日がとても美しい、自然豊かな島の景色と、己の意思に反して隔離生活を送らされていた人々の生活の跡とのギャップが非常に印象的だった。また、島自体には想像していたような暗い雰囲気はなく、きれいな設備が整っていたり、資料館が作られていたりなど、一見、本州のどこにでもある施設に見えるのが、逆に当時の悲惨さが浮き彫りになるようでゾッとした。」


「近藤先生の講義ではハンセン病の基礎知識について教えていただき、知らないことも多く知ることができたのでとてもありがたかった。ハンセン病について2日間学び、アイヌ差別を学んだことを通じて、やはり人は自分と異なるものを排する傾向にあるのだなと改めて感じた。大島でお話を聞いた時に印象に残ったのは、入島する際に入所者の方々が宗教を決めさせられた、というもので、理由が埋葬する時に困るから、ということである。それを聞いた時、本当に大島は、終の住処という表現が正しいのかはわからないが一生涯を入所者が過ごすための場所だと感じた。また、それを当時入島した入所者が聞いたと思うと、もう出てこれないんだという絶望の気持ちが生まれてきたように思われた。」


「ハンセン病についての本も読んだし、調べてきたしと思っていましたが、知らないことだらけだったことにまずショックを受けました。差別の歴史から現在に至るまで、その話を実際に感染し、隔離された経験を持つ方々から直接聞くことができたのはとても貴重な経験だったように感じます。」


「事前学習で、ハンセン病に関する本を読み、調べ学習をしたので講義の内容が入ってきやすかったと感じました。今回、大島に上陸することができました。すごく貴重な体験をさせていただくことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。今まで、ハンセン病については小学生や中学生のころに社会科でさらっと学んだぐらいで、今回のような研修旅行がなければ一生関わることのなかったものなのかなと思います。現代の若い人々はハンセン病に対して偏見というよりかは無関心なのかなという印象です。しかし、ハンセン病患者が理不尽な扱いを受けていた、差別・偏見があったという事実に、新型コロナウイルスが流行り始めたころと通ずるものがあるなと感じました。未知の病気、わからないから噂が独り歩きしてしまう。情報を受け取る側として取捨選択の能力を高めていかなければならないということが全体を通しての感想です。」


「森自治会長が仰っていた『過ちを繰り返して欲しくない』という言葉を聞いて、広島での平和学習との繋がりを感じ、平和学習でも人権(ハンセン病)学習でも、私たち若い世代に伝えたい一番のことは『過ちを繰り返さないでくれ』ということなのかな、と感じました。」


「近藤先生のお話で印象に残ったのは、患者は全員、あの島に連れてこられ、あの島で生き、あの島で亡くなったということ。大島青松園の感想にもなるが、もし島の中で結婚し、子供を授かっても、その子を生むことは許されなかったのだ、という話が強く心に残っている。子どもが産めないということは、あの島で生まれた命はなく、島の中でただ命が燃え尽きていくだけだったということだ。大島は、連れてこられた人の死に場所としてのみ用意された島であった。それは、いかに異常なことであろうか、気付いた時、とても同じ人間の所業とは思えなかった。同時に、背負っていくべき過去であり過ちであると思った。香川県立保健医療大学の学生さんの発表では、ハンセン病患者は必ずしも、最後までとことん希望がなかったわけではないかもしれないということを思った。もちろん人並みの幸せはなかったし、その損失は到底償えるものでもないだろう。しかし、朗読劇のモデルの方には趣味があり、妻もあり、使命感もあった。それは、島見学の際に感じた明るさの根源であるようにも思った。島の中にはコミュニティがあり、そこには私たちと何ら変わらない生活があったことを、患者の一人に焦点を絞って紹介してもらったことで、絶望の側面も希望の側面もよりわかりやすくなっていたと思う。私たちのアイヌの発表では、文化と歴史は似て非なるものだなと思った。文化は残っていくもの、結果的にそういう形で今に受け継がれてきたものであり、極めて自然で時代の流れによっては全く姿を変えることもある、形而上的なものだと思った。逆に歴史は、実際に起こったまぎれもない事実であり、それを改ざんすることは許されない。私は、文化を残していくのは自分次第だが、歴史は学びであり、後世に伝えるため、正しく残していかなければならないし、それは子孫を残すことと同じくらい大切なことだという考えを抱いた。」