NEWS

お知らせ

2021/06/22

「高校生のためのアスペン古典セミナー」に参加しました

5月9日から6月13日に開催された「高校生のためのアスペン古典セミナーin北海道」に本校の生徒2名が参加しました。

 このセミナーは、東西の古典を教材に、高校生による対話を通して「よく生きるとは」「何のため学ぶのか」「何のため働くのか」「大切にしたい価値」といった人生の重要な課題について考えることを目的としています。

 5月に2回、6月に1回、日曜日の午後を使って、高校生14名によって対話が繰り広げられました。使用された古典教材は次の6つです。


松尾芭蕉「おくのほそ道」

アリストテレス「形而上学」

ソロー「ウォールデン〈森で生きる〉」

旧約聖書「創世記」

オルテガ「大衆の反逆」

森鷗外「かのように」


通算3日間のセミナーは、著者の考えに対して生徒が自分の意見を述べる対話によって進められました。

 ほかの参加者の意見に耳を傾け、自分が思いもしなかった気づきを得られ、逆に自分もほかの人に大きな刺激や示唆を与えることもあります。参加者同士の対話を通して、自分自身への反省や発見、そして著作や著者に対する思索が深まったようです。

 また、今回のセミナーで、日本の聖書研究の泰斗である関根清三先生から直接レクチャーをいただけたことは、他では得られない貴重な学びの時間ともなりました。


セミナーに参加した本校生徒のコメントを紹介します。


神谷空良さん(2年生)

「アスペン古典セミナーは“古典”をじっくりと読み込み、“生き方”を考えていくセミナーです。古典といっても学校の授業で習うような日本の古文のみを指すのではなく、過去に書かれた様々な文章を扱います。私も参加する前は古典を少し触れてみようとぐらいしか、思っていませんでしたが、三日間参加して古典が筆者の生き方・考えたことを書き記している貴重な文章だと感じました。

松尾芭蕉の軽み、旧約聖書の“神”、オルデガの現代民主主義を問う姿勢など、今日に繋がる様々な考えを学び・共感出来ました。セミナー最後のメンターの方の『古典はいつか人生の厳しいときにきっと自分に寄り添ってくれる』という言葉はまさに本当だと思います。

最初は何が書いてあるかよく分からなくともじっくり読むことで古典に共感し、その生き方に触れ、自分の生き方に生かすことができるのではと感じました。自分1人では手を出すことがないようなテクストに触れ、じっくり読み込む機会は中々ないと思います。もし興味があったら参加してみてください。最初は戸惑っても最後には“生き方”を考える良い経験になると思います。」


成田明由さん(2年生)

「セミナーの案内を受けた2日後に、私は参加したい旨を先生に伝えた。古今東西の古典について、他校の生徒と語り合うのが単純に楽しそうだった。参加する『他校の人』がどんな人たちなのか少し怖かったが、それでも好奇心のほうが断然強かった。テキストが配布された。このテキストをじっくりと読み込んで、当日に備えてほしい、といったことが書かれていた。

私はその次のページに『おくのほそ道』の一節が載っているのを見つけた。丁度『おくのほそ道』の解説本を読んでいたので、この本の知識があれば、他の参加者と対等に渡り合えるかもしれないと思った。その自信から、テキストそのものはあまり熟読せず、セミナー当日に臨んだ。

セミナーが始まると、参加者たちは緊張しながらも、『おくのほそ道』について語り始めた。このとき自分は拍子抜けしてしまった。他の参加者が口にしたのは、江戸時代の時代背景でも芭蕉の俳句が俳諧に与えた影響でもなく、テキスト中の『栖』の漢字の由来や、テキスト中にある上野谷中が桜の名所である、といったことだった。テキスト中の『行春や〜』の句について、感想を述べた人もいた。彼らは『おくのほそ道』について、日本史や俳句、和歌の知識に頼ることをしなかった。ただテキストと向き合い、わからない用語を調べて意味を把握しながら、『0から』自分の意見を構築し、参加者と議論を交わしていた。ただ解説書を読んで満足していた自分とは、比べ物にならなかった。そこで私も読み方を見直した。

『旧約聖書』では自分が読んでいた解説書を途中から辞書代わりに使うだけにとどめ、『ウォールデン』に関することは一切調べず、ただテキストを何度も何度も読んで、自分の考えを少しずつ積み上げていった。そしてセミナー2日目、私はセミナー1日目よりもっと緊張しながら臨んだ。驚いた。私の意見は間違いだらけだった。あれだけ準備してきたにもかかわらず、自分は色々と勘違いをしていたのだ。セミナーには専門家の方が2人同席されていたのだが、その人達と自分の考えが真っ向から食い違うことが何度もあった。それならやはり『調べて』おくべきだった、と一瞬思った。しかし、そうではなかった。

『古典』は、いわば昔から読みつがれてきた名作だ。だから読みつがれてきた分だけ様々な分析がされている。その中にはもちろん学問の知識を駆使した分析もある。ただし忘れてはならないのは、それは良くも悪くも個人の見解である、ということだ。人の意見に正解はない。それはその人が専門家であろうと同じこと。大事なのは、テキストに込められた著者のメッセージを読み取ること。個人の見解をヒントに、自分の考えを改めていくこと。そうして自分が求める答えを、既存の知識に頼ることなく追求すること。これこそ『テキストを読み込むこと』の意義だと、その瞬間、自分ははっきりと思い知らされた。それを知ってからはもう止まらなかった。楽しい。

自分の間違いからテキストの真髄に迫っていくのが、知り合ったばかりの人と議論を交わすのが楽しくてしょうがない。制限時間ギリギリになって新しい疑問が湧き出してきたときはぞくぞくした。いくら時間を費やしても終わることのないテキストへの問いが、セミナーの後もしばらく身体を温めたままだった。すっかり書き忘れていたが、今回のセミナーの目的は、『よく生きる』ことだった。

私は6つのテキストを通して、『よく生きる』ことはどういうことか、13人の生徒と議論を交わしながら考えていった。しかし、6つのテキストがすべて、人生について問うたものではない。むしろバラバラである。例えばアリストテレスの『形而上学』では、人の感覚についての分析から始まり、経験と知識のどちらが重要かといった議論に踏み込んでいった。『旧約聖書』ではユダヤの神についての逸話に触れたし、オルテガの『大衆の反逆』では大衆が少数の特別な才人に取って代わろうとしている、という考えを扱っている。

このようなテキストから果たして求めている答えに結びつくのか、私は甚だ疑問だったが、これがどうしてなかなか結びつくのである。ではどうやってその答えを追求できるのか、それは、みなさん自身がみつけてほしい。

私もまだ1人の高校生であり、その答えにはたどり着けていない。だから、テキストを読み込んで、感想を誰かと共有してほしい。誰かと一緒に古典を語り合ってほしい。現代文で評論を読解するのとは違う、小説を読んで感動することとも違う、もう一つの刺激が、そこにはきっとあるはずだ。それはきっと、楽しいに違いない。」


2021年度「高校生のためのアスペン古典セミナーin北海道」 参加校

札幌国際情報高校・市立札幌開成中等教育学校・札幌聖心女子学院高校・市立札幌清田高校・札幌東陵高校・立命館慶祥高校・愛徳学園高校